
真藤さんは、世界一のタンカーを常に造り続けた実績をもつ技術者であり、経営者だった。積載重量で10万トンの大台を世界で初めて突破し、その10余年後には50万トン級の大型タンカー建造に成功したのである。
船の大型化で先陣を切るのはかなりリスクが高い。未知の積載重量では、想定外の船体の損傷や事故が多発しやすいからである。そうした中であえて他社よりも先行するリスクを取って造船技術の価値を経営の価値にまで昇華し、IHIを造船業界トップに押し上げたのが真藤さんだった。
真藤さんが20年がかりで取り組んだ仕事として、南米のアマゾン川中流域にパルプ工場を建設するプロジェクトがあった。未開拓の密林地帯では、輸送手段が限られるため資材などの調達が難しく、電力の調達もままならなかった。その状況で、彼の構想力はいかんなく発揮された。
真藤さんと発注元の米国企業がまとめた建設計画は斬新だった。プラント自体を現地ではなく、日本で作ってしまったのである。
まず呉の造船所で、パルプ工場と発電設備などを、長さ240メートル、幅40メートルの矩形の船2隻の上に建造する。この船をタグボートで曳航して太平洋を渡り、大西洋からアマゾン川を遡上。ほぼ地球を半周して現地に据えつける、というスケールの大きなプロジェクトだった。真藤さんは、この新しいコンセプトによる工場建設を見事成功させた。過去の技術の延長にはない新技術を生み出したわけで、彼が優れた技術経営者だったことを示す1例である。
私が真藤さんと言葉を交わしたのは1度だけで、私が入社2年目、彼が社長2年目の終わり頃だった。72年入社組の20人が開いた同期会に真藤社長を招待した。
私はちょうど、船の全体設計をする部署から、流体力学を応用した形状設計の部署へと異動が決まったばかり。新しい部署の部長に引き抜かれたのだが、真藤さんは「船型設計で偉くなるためには水の気持ちが分かるぐらいにならないといかん」と言われた。
この言葉は、今でも強く印象に残っている。
社長と2年生社員の関係ではあったが、生意気にも「船舶設計、特に流体力学の応用では私の技術力が上」という自負を抱いていた。それだけに、真藤さんの「水の気持ちが分かる」という言葉は衝撃的だった。さすがに、その境地には達していなかったからである。
「技術者と技術の関わり方には、自分が思い描いている以上に深いものがあるのだ」と、その深遠さに強い感銘を受けた。
真藤さんの言葉を本当に理解したと実感できたのは、それから十数年の後である。5年間のIHIにおける技術者生活の後、私は東京大学に籍を移して船舶設計の研究を進めた。多くの開発プロジェクトで自分の研究成果を応用していくうちに、恐らく船型設計では自分が世界一だろうと実感できるまでになった。そして40歳を迎えたとき、船型デザイナーとして「水の気持ちが分かる」という境地にようやく近づけたと感じることができた。
「水の気持ちが分かる」ということをかみ砕いて説明すれば、船が航行する時にどのような水の流れが生じて、どのように波ができるかというようなことを、船の形状や速力などから直感的に想像できるということだ。
もちろん、革新的な船型設計は直感だけでは生まれない。例えば私の場合は、新しいタイプの波(自由表面衡撃波)を発見したり、コンピューター・シミュレーションによる設計手法を先駆的に実用化したりするなど、学問的、論理的に新しい研究成果を導入したことも大きかった。
だが、結局のところ大きな比重を占めるのは、やはり一種の「直感」なのである。これは船型設計に限った話ではない。ある技術を究めると、直観的かつ感覚的に最適解を頭の中で思い描けるようになる。
これを私は「構想力」と言う。
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