
1995年、アメリカでは「マルティメディア元年」といわれ、オピニオンリーダーやアナリスト、ジャーナリストたちがこぞって「デジタル革命」を唱えていた。「テレビがデジタルになるとパソコンに近づき、テレビ産業はいずれパソコン産業に吸収されてしまうであろう」というのがもっぱらの意見だった。当時IEEE(アメリカ電気電子学会)のコンシューマエレクトロニクス・グループのチェアマンから連絡があり「東芝はテレビもパソコンもやっているが意見を聞きたい」といってきた。私は「東芝の見解は言えないが、私の独断と偏見なら話すことが出来る」としておおむね次のようなことを話した。
- マルティメディアとはそもそもなんだろうか。人間は昔から、声を使い、目を使い、耳を使ってフェイスtoフェイスのコミュニケーションをやってきた。人間こそがマルティメディアだと思う。
- マルティメディア技術とは、それを遠隔でも可能にする技術である。
- そうだとすると、マルティメディア技術がどうなるかは、技術の問題ではなく、わたしたち使う人が何を望むかを考えることだろう。
パソコンは、明視の距離で個人用に情報を見る機械だからA4サイズがあれば十分。95年はウインドウズ95が出てメールの時代に突入した年だったから、ファイルに個人のパソコンでアクセスできることが重要だ。
したがって、明確に目的の違う二つの道具をひとつでは兼任できないから、テレビ産業はパソコン産業に吸収されることはありません、と答えた。
すると、彼は「テレビは分かったが、パソコンはこれからどうなりますか」と聞いてきた。この答えは用意していなかったが、とっさの思いつきで言ったのが、日本のサラリーマンは朝に家を出るときちんと持ったかとチェックする「鳩が豆食ってパッ」という言葉があります、と。
「は」はハンカチ、「と」は時計、「が」はがまぐち、「ま」は万年筆、「め」は眼鏡、「く」はクシ、「て」は手帳、「ぱ」はパス(定期券)です。ハンカチと眼鏡とクシ以外はすべて情報に関係している。
「それを一緒にするものがあったらぼくは使いますね」といって
「PDACT」と書いた。
「P」はペイメント、その道具で支払いできる。「DA」はデジタルアシスト、電子手帳。「C」はカメラ、「T」は電話。
2000年にはこれらは実現するだろう、と思っていたからそう言ったのだが「P」だけは少し予測がはずれてしまった。「お財布携帯」が出来たのが2003年。それ以外は2000年までに実現した。
技術の延長線上で未来を予測するより、このような隠れたニーズを指摘することのほうが、当たる確率はずっと高まるものだ。
[→次ページへ]