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鈴木良次の「生物に学ぶ」

■第2回■
「身体」をお忘れなく

【2007.05.21】

写真 私たちが、東京医科歯科大学で<義手>の研究を始めたのは1963年のことだ。当時、アメリカでは上肢を失った人は150万人におよぶとされていた。またサリドマイド禍により手の不自由な子供たちの姿を見たときのショックも忘れられない。
多くの義手は、残っている肩の力や動きを使って義手のワイヤーを引いたり、小型のモータやガス圧を操作するものだった。
そこで考えたのが、筋電流で義手を動かすという構想であった。
筋電流というのは、筋肉を動かすときにおこる電圧変化である。(注1)

このような考えをはじめてのべたのはポーランド生まれのユダヤ人・ノーバート・ウイナー(1894-1964)だ。早熟の天才で、14歳でハーバート大学に入学している。その後、MITの数学科の教授となり、通信工学やコンピュータ、神経生理学などの研究を行い「サイバネティック」を創始する。
彼の著書『サイバネティックス』(岩波書店・第1版1948年、第2版1961年)は副題に「動物と機械における通信と制御(に関する理論)」とある。ウイナーの理論は、目標探求という概念を導入する。行為の結果の情報を系に戻し目標と比較して制御を行う<フィードバック>だ。
このフィードバックの概念は、その後拡張され生物の認知や学習、自己組織化にまで考察が進められる手がかりが与えられた。

私は、大学一年の時に『サイバネティックス』を薦められて読んで以降、ウイナーがサイバネティックスの立場から人間の<義手><義足>に関心を持っていることを知っていた。1950年に出版された『人間機械論』(みすず書房・1954年)でもその考えがのべられている。しかし、ウイナー自身はこの研究に手を下したわけではなく、アメリカでもすぐには取り上げられなかったが、触発されたイギリスやソ連で先行した研究は行われていた。

ウイナーにヒントを得た私たちの「電子義手」は、1964年に1号機、2号機が試作された。本邦初めての筋電義手である。
さらに3号機では、コンピュータを使い「力」と「速度」を2チャンネルの筋電流で制御するフィードバック回路を組み込んだ電子義手の基本設計をつくった。これは、脳の指令と、手の運動をつなげようとする日本でははじめての試みだったといえる。

発想だけからいえば、現在のBCI(ブレイン・コンピュータ・インターフェース)やBMI(ブレイン・マシン・インタフェース)である。
BCIは、脳内の電位変化(脳波)をコンピュータに直接結びつけ操作しようとする考え方だ。脳波だけではなく脳の局所的な変化を取り出せる脳磁図やf MRIによる解析手法の進歩がこれを可能としている。
その逆の技術もある。「人工感覚」技術で、脳に直接信号を送り込むことで、目や耳の感覚や筋肉が感じる運動感覚を擬似的に起こすことができる。

しかし、脳と身体をつなげるこれらの技術には慎重であるべきだと思う。
この技術が、身体に不自由な人の欠損を回復し、健常さを取り戻すことができればこれに勝る喜びはない。ただ、この技術の行き着く先には「身体から切り離された脳」、あるいは物理的な身体に代わる「バーチャルな身体」が構想される。
脳と身体が切り離されるということはどういうことなのだろうか。これは、倫理の問題ではなく、科学の基本的な認識であると思う。

実際の生物は、脳と身体が相互に絡み合っている。その関係を解きほぐし、システムとして理解し、モデルを構築し、それを工学として実現するのがバイオニクスだと考える。
工学が脳を高度に扱えるようになった時代にこそ「身体性」の問題が浮上してきている。疎外される身体があってはならない。よほどの注意深さが必要だと思う。

注1
手を動かすとき、脳からの運動指令が脊髄を通じて筋肉に届けられる。筋肉では運動神経の末端から神経伝達物質(アセチルコリンなど)が放出される。その作用で筋線維にカルシウムイオンが放出され、それがきっかけで筋肉の収縮がおこるとされる。このとき筋細胞に100マイクロボルト程度の電圧変化が起こる。この変化は、皮膚表面に電極を貼って測ることができる。
この電圧変化は筋肉の収縮の結果おこるのではなく、伝達物質の作用で筋肉収縮に先立っておこる。そこで、この筋電位の変化をとりだして義手を動かす制御信号として使えば、より自在になるのではないかという発想が浮かんでくる。

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